生え際の復讐セカンド・シーズン
本田美奈子.の特集番組を観ていたけど
LIFE for LIFE
っている言葉
生きるために生きる
まぁ当たり前のことなのかもしれないけど
なんと哲学的見解なのか
しかもパソコンではなく
手書きの文章や日記
そこには心情というか本音というか
少なくとも
ここにあるような無機質なフォントにはない
なにか伝わるものがある
何か伝えたいことや伝わってほしいこと
それを自分の表面外にだす場合は
なるべく自分に近い表現が望ましい
明朝体のように文字を書ける人間ならいい
小説家のように愛を語れるのならいい
果たしてそれは自分に近い表現なのか
と
賞味期限捏造や粉飾決済や脱税なんかも
自分とは遠い場所での表現だ
だから違和感があるし悪とされる
それは正直ではないことと違う
だからオレもキーボードで打った文字ではなく
手書きのものをPDFなんかでお届けしたい
それを望むひとはいるのかっていうねぇ
稲葉のファーストアルバムの歌詞カードは
全部手書きだった
決して読みやすいわけではないけれど
あれは表現の一つのかたちである
特に好きなひとに告白するときや
プロポーズするときに表現にこだわりを持つ人は多いだろうけど
それはとても素敵なことですなぁ
愛を伝えるためにアイデンティティを表現する
他の誰よりもあなたを愛するという決意をみることが出来ます
そういうふうに愛されるひとはとても幸せですねぇ
オレもプロポーズしたい
毎日毎日
たくさんおひとが生まれて
たくさんのひとが死んでゆく
何か生きた証を残したいとは皆想うのだろうけれども
家族や恋人の心のなかに残るだけで十分
だとオレは想ってしまう
むしろそれ以外が残したくないというか
このブログもいずれは無くなるのだろうし
オレは遺伝子も残さない
遺品は全部燃やしてほしい
と想うくらい
表現をするのであれば
その後始末にも責任を持たなくてはならないのだろう
それをみたりきいたりした他人が
どう考えるか
オレがまず考えなくてはならないなぁ
早くスノボーに行きたい
by lastest | 2010-11-09 22:57