秋に咲く桜や向日葵があってもいい

人間は
出来事を関連付けたがる

万人向けにかかれた歌謡曲の歌詞を
自分の恋愛に
あたりさわりのない占いの結果を
その日のテンションに

人間を何行かの歌詞にまとめたり
12や4に分けたり
そういうことのほうが困難なんだと思うのだけれども
そういう
小さい思想や数字の中に
自分を当てはめていたほうが
案外楽なのかもしれない

ひとは
初め自分を信じている
才能や栄光を得れる生物であると

様々なことを経験して挫折していく過程で


自分には才能がないんだ


決めつける
その方が楽だから

頑張る
とか
努力する
っていう言葉がつけられた時点で
それには苦痛が伴う

その苦痛は結構おおきなものであって
その対象が近ければ近いほど
苦痛は大きくなってゆく

サラリーマンと主婦の間に生まれた小学生が総理大臣になりたいと願うのと
40代になってもどの役職にもつかないサラリーマンが願うのと
どっちの方が可能性が高いだろう

そこで小学生は一生懸命勉強をして
ボクは絶対総理大臣になる
と願い続けることが出来るのかもしれない
苦労や挫折をあまり知らないから
それに比べて
サラリーマンはもはや願いもしないのであろう

そうやって
ひとつひとつ
あきらめながら生きて
たどり着いた先が
シアワセなのかもしれないよねぇ

誰かのシアワセを
自分のシアワセに
することは出来ないし
自分のなかで妥協を見つけて
シアワセになることが
一番のシアワセなのかも
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by lastest | 2012-11-15 00:43